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カレー女王国

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作品説明

 小説です。姉が美味しいカレーを作ってくれます。以下、URL。

PIXIV:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1001

 以下、プレーンテキスト。

 カレーと言ったら市販品でいうところの辛口以上に限る。口に入れるとはっきり刺激が走って、飲み込む時には喉にくるくらいが丁度いい。僕はまだ子供だけれど、そのくらいの分別はついている。
 でもただ辛ければいいってわけではもちろんなくて、その中に甘味が含まれていないと絶対に駄目だ。タマネギを使った時にだけ生まれて来る甘味は辛さに一歩遅れて口に広がる。それが後味まで続いて口の中を何とも言えない甘辛さに染め上げてくれるのがいい。
 そんなカレーに生卵を落としてやったりしたらもう最高で、僕は一生これだけでいいんじゃないかって食べながら思うし、人生最後の食べ物と聞かれたら必ずカレーと答えてしまう。
 姉はカレーの天才だ。
 料理作りにはあまり興味のない姉だけれど、カレーとなると話は違う。姉は調理に取りかかるやカレーしか見えないような状態になって、四六時中台所に詰めるようになる。そうすると台所は姉の聖域と化して、両親だってうかつに足を踏み入れる事はできなくなる。姉がカレーを作り始めるといつもみたいにふざけて僕に抱きついたりしてくることもなくなってしまって、それはそれで寂しいことだけれど、姉のカレーのためなら仕方ない。
 姉は年に何度かカレーを作る。周期やきっかけがあるわけじゃなく、突発的に作り始めるのだ。ある日はっとしたように「カレー!」なんて叫んだらそれが合図で、それから三日は姉とカレーの一本勝負。
 姉はカレーを思い立つとすぐに食材のメッカ『王様のシェフ』に自転車を走らせる。その時のスピードと言ったらそこらへんのスクーターなんか目じゃないくらい。そして必要な物を全て買いそろえてマッハのスピードで帰ってきて、台所にこもってあっという間にカレーの王国を築く。
 そうなるともう高校なんかおかまいなしだ。両親も姉のカレー王国が建国されて間もない頃は叱ったり諌めたりしていたけれど、今ではもう治外法権を認めている。というよりも姉の作るカレーにやられてしまったという方が正しいかもしれない。
 姉のカレー作りは三日間に及ぶ。その間はあれに火をかけ、これを煮立て、定期的にかき回し、出来上がったのを混ぜ合わせと、人生の一部を完全に切り取ってカレーに捧げてしまうのだ。その時姉が見せる鬼気迫るような表情、何かに打ち込んだすがすがしい表情、味見をしたときの嬉しそうな表情は、時にろくでもない物を見つけた喜びの表情をも超えるほど。僕はそんな姉を見ていると自分まで嬉しくて誇らしい気持ちになる。
 中学の授業が終わって家に帰ると、台所からどこか虚ろな「おかえり」の声。それと同時に鼻を突くタマネギの甘い香り。釣られて覗きに行くと、姉はいつも大鍋の隣に座って雑誌を読んでいる。時々自動人形みたいに滑らかな動きで木べらに手を伸ばし、鍋の中身を確認したりかくはんしたりする。
 姉のカレー王国に正式な出入りを認められているのは僕だけだ。それも僕の自慢の一つ。両親はうらやましそうな顔をして横を通り過ぎるのが関の山だけれど、僕だけは姉の隣に座って鍋から聞えるくつくつという音を聞いたりその下で静かに揺れる炎を見ていても構わない。
「姉ちゃん、今回のカレーはいつ頃完成予定?」
 僕が必ず投げる質問に、姉は決まってなだめるような返事を返して来る。
「もうすぐよ」そして雑誌に目を落とす。「もうすぐ」
 それから鍋の中身を味見して一言。
「今回のはちょっと辛めよ。楽しみにしててね」
 僕も味見をせがみたくなってしまうけれど、そこは我慢我慢。
 そんな風に三日が過ぎると姉はカレー王国を閉鎖して、いつもの気軽な姉に戻る。その時僕が傍にいたら、必ず抱きついてこう言うのだ。
「優ちゃん、カレーできたよ!」
 そして姉は御飯をカレー皿に半分だけ盛りつけて、残り半分に出来立てのカレーをとろりと垂らす。
 僕が席に着くと姉はカレーとスプーンと、それとグラス一杯の氷水を置いてくれる。姉のカレーは辛いから。最後に冷蔵庫から出したての生卵をお皿の角に軽くぶつけて上からぽとりとカレールーに落としてくれる。
 ここまで来ると僕のテンションは最高潮で、いただきますと言うが早いか卵を溶いて食べ始める。辛い辛い甘い。そしてまた甘い。生卵の粘りが何とも言えない食感を付け加える。
 ルーと御飯をいきなり混ぜてしまうようなことは決してしない。それは姉のカレーに対する冒涜だ。僕は一口一口念入りに御飯をよそっては丁寧にルーをかけ、唇に触れないよう注意してスプーンを口へと放り込む。辛くて辛くて甘くて、そしてやっぱり甘い。
 姉はそんな僕を嬉しそうに見つめて時々「水飲まないの?」って声をかけてくれるけれど、僕はそれを決してやらない。水はカレーを全部食べてから。それまではいわゆる「にらみ水」。僕は額に汗をにじませて、時々鼻水をすすりながらカレーを食べ続ける。まるで姉を食べているような気分になる。最後には少し涙まで浮いてきてしまって、それでも手は止まらない。
 全てを食べ尽くしてしまってから飲む氷水もまた最高だ。カレーの辛さを全部じゃないけど吹き飛ばして、後味の甘味だけを口に残してくれる。途中で飲まなくて本当に良かったと、感謝の念さえ起こさせる。
 僕はごちそうさまの前に必ず「姉ちゃん」と枕詞を付け加える。姉ちゃんの時間、労力、才能ごちそうさま。偉大な姉にごちそうさま。そして美味しかったことも忘れずに。そうすると姉はこの世の始まりみたいな喜びの表情を浮かべてくれる。その表情もごちそうさま。
「どういたしまして」
 そう言って僕を撫でる姉の手を、僕はいつもより大きく感じるのだ。

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